創業者インタビュー

そんな厳しい状況の中、柱になる事業が生まれたそうですが。

月極駐車場ビジネスですね。
これは青年会議所の仲間との雑談から生まれたんですよ。
「車は欲しいけど、駐める場所がない。だったら有料の駐車場ビジネスが成り立つかもしれない」とね。
当時は「土地は貸したら帰ってこないと思え」というような時代でした。簡単に土地を貸す地主さんはいなかったんです。

しかし、駐車場や資材置き場は借地権は発生しないということがわかり、世田谷の地主さん100人にアンケートを実施してみました。すると、37人から「設計・建築・管理まで面倒なことを全てまかせられるならいいよ」という回答が得られたんです。地主さんにしてみれば、空き地の宅地並課税が5年後に実行されるという時の3年目で、そろそろなにか手を打たないと税金を払えないというタイミング。農地にするか、宅地並み課税かの二択しかなかったところに月極駐車場の提案が見事にフィットしました。

月極駐車場は急速に新しいビジネスとして受け入られたそうですね。

第一次宅地並み課税のフォローの風を受けて5年で3,000台(日本一)を達成し、上野毛に事務所兼自宅を購入しました。
月極駐車場日本一を獲得した後、その実績を買われ、民営化されたNTTさんが駐車場事業に乗り出す際にパーキングアドバイザーも依頼されました。現在のNTTル・パルクさんですね。そのご縁から当社の株主にもなっていただいています。

駐車場事業で会社が軌道に乗ったんですね。
その後はどのような事業を手掛けられましたか?

昭和56年(1981年)に開設したパブリック専用テニスクラブ事業ですね。

横浜石川町の駅裏に住友生命さんが取得した3,000坪の土地に「地階にスーパーを擁する高層ビル」の計画がありました。当時は大規模店舗小売法という法律があって、スーパーを作るためには周囲20~30kmの商店街の同意を得る必要がありました。同意を得るには2~3年くらいはかかります。その間の有効活用方法として「パブリック専用のテニスクラブ」を提案したんです。

当時、テニスは300万円位の会員権を払えるような人がやる高嶺の花のスポーツ。お金がかかったんです。そんな金額が払えない人は予約をとるために公営のクラブに朝早くから並ぶしかなかった。僕はラケットを握ったこともなかったけれど、手軽にできるパブリック専用のテニスクラブを作れば必ず当たると感じたんです。

テニスコートを10面、駐車場200台の設備で1時間1面1,500円、ナイターは2,000円。
住友生命の子会社さんが出資してくれて共同で「石川町テニスガーデン」を建築しました。テニスクラブのノウハウがない当社との共同事業、相手の会社は不安だったと思います。上野毛にあった会社兼自宅の権利書と印鑑証明を預け「失敗したらこれで清算して下さい」とお願いし、テニスクラブの運営は全て私に任せて頂きました。

オープンはシーズンオフの真冬1月16日!朝から晩までびっしり予約が埋まり、不安は吹き飛びました。まさに予感は的中!した訳です。初期投資をわずか10ヶ月で回収し、2年だけの予定がなんと8年間も続きました。

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